こんにちは。ぺんちゃです。
今回は自身の体験が誰かの役に立つのではないかと思い、記事にまとめさせていただきました。
目次
まず読み始める前に
①薬の名称が出てきますが、それ自体が悪いというものではありません。
②どこの心療内科もこうであるということは全くありません。
ネタバレになりますが、セカンドオピニオンで私自身なんとかできております。
以上の二つを念頭において、ご一読いただけると幸いです。
ことの始まり(うつ病判定)
2021年8月31日
実は難病になる前(2019年)からいわゆる気分障害はあるのではないかと思っておりましたが、
なかなか良い心療内科に出会えずほったらかしにしていました。
しかしこのままほったらかしにしていてはダメだと思い発起し
とある心療内科に電話予約し受診することとなりました(以降M心療内科とします)
初診で行ったのは、自分に当てはまるところに丸を書いていくシートを何枚かと
バウムテスト(木を書きそこから性格を診断するもの)でした
そしてその後、先生と顔を合わせ話をしたり、結果を聞くこととなりました。
結論から言うと、その時どのシートでも「鬱病」判定だったため、鬱病であると診断されました。
そして家族構成や生い立ち、初恋はいつか(?)など様々なことを聞かれました。
私にとってこの時間は今後も忘れることはないのではないかと思います。
おじいちゃん先生だったのですが、きついことをはっきり言ってきたのです。
「社会人3ヶ月目で難病に…ということは社会経験ゼロだね」
「無職ってことはここ何年ずっと何もしてないわけだ」
「君は子供のままなんだよ」
そして私がHSPやAC、双極性障害や自律神経失調症などの検査もしてもらえるのか聞いた時
「よく知ってるね、でもね、君のそう言う頭でっかちで理屈的なところがダメなんだよ」
と言われてしまいました。
心を助けて欲しくて勇気を出していったのに塩を塗られる結果となりました。
その後、抗うつ剤の
レクサプロ錠10mg
ロフラゼプ酸エチル錠1mg
を毎夕食後服薬することになりました。
地獄の服薬生活
私の地獄生活はここからでした。
初めは薬のおかげか深い眠りにつけていました。
夜に悩み勝手に涙が出ることも無くなっていました。
しかし2、3日すると私の体はどんどん重くなっていったのです。
私の9月は全てほぼ寝たきり生活を余儀なくされてしまいました。
難病持ちの私には飲まなければならない薬が朝と夜にありました。
そのため、朝と夜そのためだけに身体を起こし、
ヨーグルトや雑炊などの流動食や果物を食べて薬を飲み、
そしてそれ以外はずっと横になっていました。
吐き気や倦怠感がとても酷くなったのです。
食欲はあるのに身体が受け付けてくれない。
本当はラーメンやポテトみたいなジャンクなものを食べたいと思っているのに
身体はそれを拒否しました。
また、倦怠感も今までうけたことないほどのしんどさで、
いつもから元気でなんとかできていた私が身体を起こしていられないほどひどいものでした。
また、その頃から右耳に耳閉感(飛行機に乗ってる時のような膜がはった感覚)が
身体を起こしている時必ず起こるようになりました。
そして挙げ句の果てに意識障害を起こし始めました。
眠りが浅い時、誰かのいびきが聞こえ起きたら誰もいない。
誰かに足元に座られ、耳元で「そろそろ起きんの?」って言われたはずなのに誰もいない。
腹を叩かれ「7時よ!」って言われ起こされたはずなのに誰もいない。(ちなみにその時夜中3時)
そしてその頃には眠りはもちろん夜の喪失感や無意識の涙は戻っていました。
その段階で私は5キロ痩せてしまっていました
次の受診日に話すも・・・
そして22日、その時に起きたことを全て話しました。
すると「減らそうと思ったけど維持した方がよさそうね」とのことだったので
止めることなく現状維持となりました。
うつ病はなってる時より治療の方がしんどいと聞いていた私は、
このおじいちゃん先生のことを信じ、
何も疑わず「これはただの薬の副作用でもう少ししたら元気になれるんだ」と思っていました。
ただ、ひどいことを言われ傷ついたことは忘れられなかったので、
この時セカンドオピニオンをしてみることを決意しました。
セカンドオピニオンをする
口が悪くない先生なら誰でもいい。
優しい先生がいいと思い、とある心療内科(以降S心療内科)に電話しました。
実ははじめ電話した際は、11月2日(電話した日から1ヶ月以上先)までいっぱいですと言われ、
それまでM心療内科に通うしかないのかと思っていましたが、
キャンセルが出たと言うことで急遽29日に受診することとなりました。
鬱病ではない?躁鬱病?
ここから展開がどんどん変わっていくことになります。
S心療内科は2021年今年できたばかりで若い先生でした。
そして話をしていくうちに私は鬱病ではなく「躁鬱病」の可能性があるということになりました。
また先生によると、
「若いうちは鬱病か躁鬱病かを慎重に見極めて処方しないとえらい目にあうんだ。
躁鬱病の人に鬱病の人に使う薬を使ったら最悪の場合、気分が下がってテンションが上がって
自殺に追い込む可能性もある」
ということでした。
そしてそこで先生から今飲んでいる薬はあなたに合っていない、
今出ている倦怠感や意識障害は薬があっていない証拠だと気づいてくださりました
そして私はそこから今まで飲んでた薬をやめることを前提に、
ラツーダ錠(躁鬱病専用)を飲むこととなります。
持病の診察で「薬剤性急性肝障害」と判明
そして次の日、難病の毎月の検査があったので採血をし診察を待っていました。
そして先生と顔を合わせて一言目
「身体しんどいでしょ」
なぜわかった?!
なんと肝機能(AST,ALT)がえらいこっちゃになっていました。
薬剤性急性肝障害になってしまっていたのです。
これのせいで私はほぼ寝たきり生活を送っていたわけか…
歩幅も半足分になり、平衡感覚も悪くなり、えらい目に遭ってたけど
副作用じゃなく薬が悪さしていたと…
絶望と「今気づけてよかった」という安堵感でよくわからない感情になりました。
そしてその日のうちに肝機能の数値を和らげるネオファーゲン20ccを注射し、
新しくウルソデオキシコール酸錠を毎食後飲むようになりました。
するとみるみる歩けるようになり、倦怠感は残るものの少しずつ動けるようになりましたし、
食べれるものも増えていきました。
しかしこれですぐ解決とはならず…
1週間後の診察(10/4)にて
肝機能について悪くなっていませんでしたが、よくもなっていませんでした
前回199だったところも189にしかなっておらず、他の数値もあまり変わっていませんでした。
先生に「毎日ネオファーゲン打った方がいいくらいだよ」と言われてしまい・・・
そして次の診察時(10/7)の時数値が良くなっていなければ
「入院」することになるということになりました。
そして10月5日(火) S心療内科の先生に採血結果を見せ、何が起きてるかを全て説明しました。
入院するかもしれないということも伝えると、ラツーダ半錠を多めに出してくれました。
また、「これも原因になってそうならすぐにやめていいからね」と言ってくださいました。
先生曰く、薬剤性急性肝障害の原因になる薬を止めればすぐ下がるはずなのに
下がらないことに驚いていたので入院する可能性の方が確実に高いと分かったのかもしれません。
そして10月7日(木)採血結果により、私は一ヶ月の入院を余儀なくされたのです・・・
おわりに
入院編については、また後日投稿しようと思います!
本当に散々な目にあいました・・・
今となってはいい経験だったなと思えますが、本当にしんどい一ヶ月だった・・・